大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(タ)578号 判決

原告

武子静子

原告

三好三津子

右両名訴訟代理人弁護士

山本裕夫

被告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

伊東眞

根木純子

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

平成八年八月八日東京都北区長に対する届出によってなされた被告と亡甲野花子(死亡時の本籍 東京都北区豊島〈番地略〉、最後の住所 東京都北区豊島〈番地略〉。以下「花子」という。)との婚姻は無効であることを確認する。

第二  事案の概要

一  被告と花子は、昭和五八年一二月ころ、知り合い、まもなく同居するようになった。右両名は、当時、それぞれ婚姻していたが、離婚協議中であり、昭和五九年一月一一日ころには被告と前妻春子との協議離婚が成立し、同年二月二七日には花子と前夫乙山一郎との協議離婚が成立した。被告は、同年七月二五日、花子の住所地に住民票を移転し、以後、花子が死亡するまで、同所で花子と同居した(甲一、乙二八ないし三〇、被告)。

二  花子は、平成七年三月二四日、王子生協病院で膵臓癌の手術を受け、その後、入退院を繰り返した(甲一五の一ないし三)。花子は、平成八年も六月二一日から七月二一日まで入院し、同日一時退院したが、同月三一日には再入院し、八月四日には判断能力を喪失し、同月七日危篤状態となって同月一二日に死亡した(乙一七、一八、二七、四四、五六)。

三  平成八年八月八日、東京都北区長に対し、被告と花子との婚姻届が提出された(甲一、三)。

四  原告らは、花子の妹であるが、婚姻届書(甲三)の花子の署名は偽造であるか、仮に花子が署名したものであるとしても、婚姻意思を欠いたままなされたものであるとして、被告と花子との婚姻が無効であると主張する。

被告は、花子と被告の婚姻届書は花子が退院中の平成八年七月二三日に自宅で両名の婚姻意思に基づきそれぞれが署名して作成したもので、婚姻は有効であると主張した。

第三  争点に対する判断

一  花子の病状について

1  後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 花子に対して、遅くとも平成八年六月一七日以降、痛み止めとして、塩酸モルヒネ錠が投与され、入院中の同月二四日以降MSコンチンに切り替えられ、その量は同年七月以降次第に増量された(甲一九、乙一七)。

(二) 花子には、入院中、時々これらの薬の副作用と考えられる次のような意味不明の発言がみられた(甲一八、三〇、乙一八の九枚目、乙四九)。

花子は、六月二九日の早朝、床頭台をガサゴソしていたため、他の患者が尋ねたところ、「卵を一〇個もらったのがなくなったので探している。」と答え、さらに誰からもらったのか尋ねると、「わからない。」と答えた(乙一八の五枚目)。花子は、七月一日午前〇時三〇分、他の患者の部屋のカーテンをさわっていたため、看護婦が尋ねると、「トイレに行くの。」と言ったまま、一向に行こうとしなかった(乙一八の八枚目)。花子は、七月二日午前五時、看護婦を呼び、「これがつらいのよね。何だっけ。湯たんぽの大きさでパンパンってやるやつ。鉄砲じゃないし。」と意味不明の発言をした。花子は、七月七日午前六時、「頭が坊主になってニャッと笑っていた。声をかけられたのはわかっていたけど。気が狂ってるみたいに、困ってしまう。」と意味不明の発言をした(乙一八号証の一二枚目)。また、花子は、七月に見舞いに訪れた塩原ムラ子に対し、「ムラ子さん、若くて目がいいだろうから、マンションの屋根の上に馬がいるから見てちょうだい。」「朝の三時に枕元にお坊さんがいて笑ってるのよ。それが私なのよ。」「天井に虫がいっぱいいるから、殺虫剤をかけて。」などと話した(甲一一)。

(三) 花子は、平成八年七月三日、四日、六日、八日、一一日に許可を取って外出している(乙一九)。花子は、外出許可書の作成に際し、看護婦に声をかけてもらってようやく記載できるような状況であったが、三日、四日、八日については自分で外出許可書を記載している(乙一八の一一、一三枚目、乙一九)。

(四) 花子は、同年七月二一日、王子生協病院を一時退院した(乙四四)。同日から同月二五日までは被告の姉である堅田文子(以下「堅田」という。)が花子宅に通って、昼ころから被告が帰宅する午後六時ころまで花子の世話をしたが、食事は花子自身が自分用の減塩食を作った。花子は、同月二四日には、自ら希望して堅田及び被告と共に近くのスーパーマーケットに買い物に出かけ、その夜はスナックに行き、被告と一緒にカラオケを一曲歌った(乙二五、三〇、証人堅田文子、証人宮本博、被告)。

(五) 花子は、同年七月二二日、定期積立預金の集金に訪れた東京シティ信用金庫東王子支店の三善康弘と応対したが、その際の花子の話し方や態度は通常と変わらなかった(乙五二、五三)。花子からマンションの一室を賃借している福島和子は、同年七月二五日午後一時ないし二時ころ、久田ノリ子は、同月二七日午後七時三〇分ころ、それぞれ八月分の家賃を花子宅に持参した。その際、花子は、家賃を受け取って、領収証に日付を記載し、押印しており、福島や久田は、花子の様子に特に異常を感じなかった(乙四一、四二、五四、五五)。また、花子は、同年七月二六日ころの夜間、同じマンションに住む美容師の小林勝子に依頼して、自宅で髪染めをした。右髪染めには二時間程度要したが、小林は、花子の話し方や態度に特に異常を感じなかった(乙三七、四三)。

(六) 花子は、退院中、自らインシュリンの注射をした(乙四五、四六、原告三好)。花子は、同年七月二六日、王子生協病院に通院し、退院中の血糖値や体温を含めた症状について報告し、「インシュリンも飲み薬もうまくやっている。あれは助かる。」などと担当の髙島照弘医師(以下「髙島医師」という。)に報告した。当日のカルテに花子の意識障害についての記載はない(甲一七)。

(七) 原告三好は、同年七月二六日以降、滋賀県から上京して花子宅で花子の世話をしたが、同月三一日には滋賀県に戻る必要があったため、花子は、同月三一日、王子生協病院に再入院した(甲二八、原告三好)。同日の入院通知書には、意識障害、排泄介助、歩行介助、食事介助、夜間せん妄の可能性等はいずれも無しと記載され、部屋の希望も大部屋とされている(乙二七、五六)。

(八) 同年七月三一日当時の花子の症状は、①MSコンチンがきれるころの心窩部の疼痛、②食思不振、③両下肢の浮腫、④熱である(乙一七の八枚目)。入院後も右症状は改善されず、疼痛も強まったことから、塩酸モルヒネを継続静注するなどの処置がとられた(乙一七の九枚目)。花子は、同年八月四日には、IVH(中心静脈ルート)を自己抜去するなど意識障害を生じるようになった(乙一七の一〇枚目、乙一八の三〇枚目)。花子は、同月七日ころより危篤状態となり、同月一二日、膵臓癌、肝臓転移により死亡した(乙一七、一八、二一)。

(九) 照会に対する髙島医師の回答書には、要旨次のとおりの記載がある。

(1) 平成九年二月二四日付け回答書(乙二一)

平成八年六月二一日入院前より疼痛に対してモルヒネが使用されていた。七月三日、四日の外出届の本人の記載には記載欄の間違いがあり、また、七月一一日の外出の際、歩行中転倒して右膝に擦過創を作ったり、七月一八日以降内服の飲み間違いが生じているなど、意識は清明であろうけれど物事を判断する能力は七月二一日以前の段階で低下していたと考える。

長年連れ添った事実上の夫との婚姻届に署名するに足りる判断能力を有していたと見得るかという照会に対し、七月二一日の段階で若干物事の判断能力が低下していたと考えるが、退院時に内服の仕方などを本人に説明したので、主治医の髙島が話をゆっくりすると、話の内容は伝わる状態であったと思われる。

七月三一日の意思能力、判断能力は、二一日の退院時とさほど変わりはない。七月三一日の入院以降、疼痛コントロールが不良のため、翌八月一日より補液と一緒にモルヒネを継続静注するようにした。八月二日以降意識は少し低下し、八月四日の段階で中心静脈ルートを自己抜去するなど判断能力はなかったと思われる。

(2) 平成一〇年七月二〇日付け回答書(甲三〇号証)

判断能力の低下の程度はいつも同じ状態ではなく変化がある。変化の原因は、花子に癌末期の患者によく起こるせん妄(周囲に対する認識の低下、正常な会話ができない、判断力が落ちる)が認められ、疼痛による体力の消耗が激しく、衰弱すると、その症状はさらに憎悪することや塩酸モルヒネ、MSコンチンの投与との関係による。せん妄は、夕方から夜にかけて出現することが多い。MSコンチンは、投与後二時間位で血中濃度が上昇し、患者の体力が低下している場合には頭がボーッとしたり、眠くなったりするために、判断能力が失われる時間帯がある。MSコンチンの服用時間(八時、一八時、二二時)からすると、一〇時から一四時位とか二〇時以降はMSコンチンの影響で頭がボーッとしたり、半分眠っていることが多かったと思われる。

平成八年七月下旬当時、花子に婚姻について理解し、判断する能力が常時ないともいえないが、同時に、右症状や内服の結果、理解力・判断力が低下し、あるいは失われることもあったと思われる。

自分が署名する用紙が婚姻届であることについて十分な認識はし得ないと思われる。ゆっくりとよく説明すれば、わかる可能性はある。しかし、一方で外出許可についての記入に誤りがあることからしても、意味がわからないまま記入することもあり得る。周囲の人にここに書いてと指示されれば、内容などを詮索せずに書いてしまうこともあり得たと思われる。周囲の人の説明の有無、内容によって、どのような場合もあり得たと考える。

2 右の事実を総合すれば、花子は、平成八年七月ころから、投与されていた薬品の副作用により意識障害が生じることがあったが、常時そのような状態にあったわけではなく、ことに平成八年七月二一日からの退院中は、親族の世話を受けながらも外出したり、来客の応対などもしていること、自ら減塩食を作り、インシュリンの注射をするなど病気の管理に務めていること、同月二六日の通院時や同月三一日の入院時には意識障害は認められていないことに照らすと、右退院中婚姻意思を持ち得ないような状態にあったとは認められない。

二  婚姻届の署名、提出について

1  証拠(乙一ないし九、一三、一四、一六、二五、三〇、三四、三六ないし三八、四二、証人堅田、同小林修、同宮本博、被告)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する甲二二、二八号証、原告ら本人尋問の結果は前掲証拠に照らし採用できない。

(一) 被告と花子は、昭和五九年ころから、同居を開始し、婚姻届はしなかったものの、以後夫婦として生活していた。花子は、前夫との間の子を流産しており、その子が入っている高崎の乙山家の墓に入ることを希望しており、被告の籍に入ることは考えていなかった。

(二) 花子は、平成八年六月ころ、乙山家の墓を守っている異母兄弟の乙山修に対し、「私にもしものことがあったら、被告がアパートに住めるようにしてやってよね。」と依頼した。

(三) 花子は、同年七月二一日に退院すると、被告に対し、婚姻届の用紙を役所からもらってくるよう強く依頼したため、被告は、同月二三日、右用紙を役所で受け取った。被告と花子は、同日午後九時ころ、右届書にそれぞれ署名押印した。なお、原告らに対してのみ花子が癌であることが告知されており、花子も被告も癌であることは告知されておらず、少なくとも被告は、花子の病気は糖尿病であると認識していた。

(四) 花子は、翌二四日、自ら希望して、被告及び堅田と前記のとおり外出し、被告の三〇年来の友人である宮本博(以下「宮本」という。)をスナックに呼び出し、歓談した。

(五) 被告は、花子から婚姻届書をすぐに提出するよう求められたが、仕事で役所に行く時間がとれなかったことや花子の病状が気になったこと、さらには婚姻届書の他の記載の仕方がわからなかったことなどから、提出せずにいたところ、同年八月七日、花子の見舞いに病院を訪れた友人の宮本博から勧められ、同人に婚姻届書の提出を委ねた。

(六) 宮本は、証人欄に自己の署名をし、さらに被告と宮本の共通の友人である櫻井正の署名を得たうえ、同年八月八日、知人の室岡克忠司法書士を訪ね、婚姻後の氏については被告から聞いたとおり甲野とすることを告げて婚姻届書の提出手続を依頼した。室岡司法書士は、同日、東京都北区長に対し、被告と花子の婚姻届書を提出した。

(七) 被告は、堅田と乙山修には花子の死亡前に婚姻届をしたことを告げたものの、原告らには騒ぎになることを恐れて花子の死後も告げず、堅田らにも口止めをしていたため、花子の葬儀の喪主は原告武子が務めた。

2 右の事実によれば、花子は、婚姻意思を持って婚姻届書に自ら署名したことが認められる。

髙島医師の平成一〇年七月二〇日付け回答書には、花子が婚姻届書であることを十分に認識しないまま、周囲に言われるままに署名してしまう可能性があることが指摘されているが、前認定の退院中の花子の行動に照らすと、花子がそのような状況下で署名したとは直ちに認められず、右回答書は右認定を妨げるものではない。

三  以上によれば、原告らの請求は理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官足立哲)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例